看取るということ

がんばれあかちんドビの時もテトラの時も、らくもふでぼもこねちゃんも、最愛のまるちゃんの時も、その最期を看取ることはとてもつらく耐え難いものだった。助けたいという気持ちと、これから消えゆかんとしている命をどうしてやることも出来ない恐怖感と闘いながら傍に付きそってあげなければならない。 今も、そんな気持ちでアカチンの傍にいる。

身体が冷たくこわばって、あまり元気の無いあかちんを相棒が朝一で医者に連れて行ってくれた。体温は32度に下がってしまっていた。猫は37度を下回ると危ない状況だと言う。もう、してあげられることも余り無さそうだ。延命治療は見合わせようと事前に話し合っておいた。入院はさせず、家に連れて帰ってもらった。
私が仕事からダッシュで戻ったときも、意識はややあるものの撫でたり、抱っこしたりは嫌な様子だ。声をかけると、無意識の中でコロコロと喉を鳴らそうとする。健気さに泣けてくる。
来るべき時に備えて、覚悟をする。

あぁ、でも神様、どうか奇跡を起こしてください。

23:17分、あかちん、虹の橋へと向かう。信じられない。