在宅の恐怖

我が家のご近所は1ブロック15軒くらい。裏の2軒はかつておばあちゃんの一人暮らしと家族4人が暮らしていた。でも、おばあちゃんは施設に移るとのことで貸家になり、一家4人の方もどこかへ越してしまい貸家になった。途中、別の人もいたけど、この4月までは、片方にアメリカ人、もう片方は中国の方が友達3人くらい(だと思う)で暮らしていた。インターナショナルなご近所さんたち。ま、いろいろいろいろあったけどね。特に米国の方。

ま、それはさておき、その貸家、今は借り手がいなくて両方空いているんだけど、片方の2階の雨戸の戸袋にムクドリが巣を構えた。これで3年連続だろうか・・。ムクドリは本当に賑やかな鳥。親が餌を運んでいるのか、一定の間隔でヒナの鳴き声が、まぁ騒がしいこと。でも、それだけ親鳥がヒナのためにご飯を運んでいるってことだし、その甲斐甲斐しさを想像して温かく見守っている。

先日、在宅で仕事をしているとき、あれだけ賑やかだったムクドリの声がパタリとやんだ。裏の家から脚立を組んだり何かを折ったりしている音が聞こえた。仕事中なれど、その音が気になり、血の気が引いた。まさか、巣を撤去しているのでは!?指先は冷たくなって、気分が悪くなった。どうしよう、撤去をやめてと叫ぶべきか。でも、勇気が出ず、一歩が踏み出せなかった。泣き出しそうな気分の中、裏庭から声がした。どうやら、ムクドリが営巣している家ではなく、その隣の貸家の庭木をきれいにしているようだった。思わず、ほっとした。
ムクドリは恐らくあと1週間ほどもすれば巣立つはず。どうか、何もないうちに飛び立って行ってほしい。

貸家の庭木を奇麗にしたってことは借り手が見つかったのかな。
常識のある、普通の方が入ってくれるといいな。

抜糸

親知らずの抜歯、上を抜いた時何ともなかったから、甘く考えてたけど「(口腔)外科の手術だから、甘く見ちゃダメ」と知り合いの薬学系の先生に言われた。納得。
抜歯翌日のテニスには行けず、翌々日のジャザサイズ(オンライン)も殆ど見学状態。抜歯当日の夜は、痛み止めが切れて痛みで眠れなくなった。「痛み止めの効果の切れ目」がはっきりわかるような1週間だった。薬嫌いだけど、言われたとおりにキチンと飲まずにはいられない感じだったね。

んで、今日は抜糸。縫ったところが塞がった感は全くないけど、問題ない限りは「これで終了」なんだそう。

抜糸したら、気分も楽になった。痛みはまだ感じるので、痛み止めだけさらに2日分だけ処方してもらった。

親知らずを抜いた後、左下あごが痛くて「ギュッ」と噛む行為や臼歯ですりつぶすことが難しく、お米を食べるのがこんな「難儀」なことだということを初めて知った。奥歯が無いと噛めないってことを実感。そして、気が付けば私は奥歯を噛みしめようとしている。食いしばっている行為が多いってことに気が付いた。

埋没している親知らずは無理に抜かず、将来、永久歯が抜けてしまった時の代用として利用できる治療方法もあるそう。
虫歯になったり、歯並びに悪影響を与えたりしていなければ、大切な自分の歯のうちの1つだから、温存しておくのも大事かと。

あー、それにしても親知らずを抜いた後の陥没穴がまだあるから、そこに結局「食べ物」が詰まって憂鬱・・・。ガックリ。

抜歯

構想十数年?、ようやっと親知らずを抜歯した。
左下の親知らずは、ずっと下にもぐっていたのにいつの間にやら半分顔を出した。
出したはいいけど、横を向いているから上に出ていけない。
20代のころ、まだ少ししか顔を出していない親知らずのところの歯茎に固いもの(フランスパン)が当たりかなり痛んだことがあり、虫歯になってしまったかと、慌てて歯医者に駆け込んだことがあったっけ。
30代のころはあんまり覚えていないけど、きっとその頃に、横向き親知らずが頑張って顔を出したんだと思う。そうしたら今度はそこに食べ物が挟まるようになってきた。これがかなり煩わしい。
だから40代に入ったとき、抜くしかないと近所の医者に行くも「下の歯はあごの神経に近いところにあるから、麻痺が残る可能性があるよ」との注意を聞かされた時点で断念。だって、虫歯にもなってないし、食べ物はうがいや歯磨きで何とかなるから。
ここで一句
アラフォーと 言ってた頃が 懐かしい

さて、いよいよ親知らずが気になり始め、病院にて抜くことに。

今年の2月中旬に予約し、予約が取れたのは5月11日。朝一番。
笑気麻酔でリラックスした後に、麻酔→工事開始。
いやー、全然痛くは無いけどね、音と感覚はあるよね。ポキっとか。いま割れた?とかね・・。途中医者が「あ!」と小さく叫び「大丈夫でしたか?」と聞かれるも、こっちは麻酔効いてるから何もわかんねーし。術後の説明では、関係ない部分をちょこっと切ってしまった、んだって。

そんなこんなで親知らずにさようなら。この後1週間、ずっと痛み止めを飲む羽目になるなんてこと、痛くて夜中に目が覚めるなんてこと、お米がこんなにもかたいものだったと知ることになるなんて、想像もしてなかったんだぜっ!!

移りゆく不穏なる心

相方と娘との間に、何やらひと悶着あったらしい。週末を境に雰囲気が悪い。
かつて、私と娘の間に漂っていた不穏な空気が、今度は相方に移った模様。

子供といえども、だんだんと性格は固まってくるし、主張もいっぱしのもの。
私は見守って、間に入らないようにしようっと。

でも、ある意味そんな態度取らなくてもいいだろ、とも思うし。大人になれよ、とも思う。

うーん。放っておくのが一番だな。

オンラインレッスン

新型コロナウイルスが流行し始めて、はや1年以上が経過。変異株、イギリスやらインドやら。変異したものに対してワクチンはどの程度有効なの?ま、私らがワクチンを接種できるのはずいぶんと先になるだろうけど。

学生らはオンラインで授業を受けたり、ハイブリッド型の授業だったりするとキャンパスに来たり、家で受けたり。
その昔、資格取得のために放送大学の授業を受講したけれど、怠惰な性格の私には、とっても大変だった。挙句に1科目落としたり。その単位は無事通学型のスクーリング(他大学)で取得はしたけど、その時、しみじみと私は通学型が合うんだと実感した。

そんな私でも続けられるのが、ダンスやらヨガやら格闘技型やらのオンラインレッスン。
一部有料となっているけど、無料レッスンも多くて素敵な→NASLive。今日は、ベーシックなヨガとダンスのクラスを受講。これは両方とも無料。
好きなbody balanceやbody combatは有料レッスンになるけど、それでも家に居ながらにして体を動かせるって凄くいい。
もう5年ほど続けているジャザサイズも、目下オンラインレッスン。NASもジャザも、こんな状況下でもやっていただけるだけ本当にありがたい。

オンラインレッスンでも画面をオフにして、メイクも気にせず、パジャマ姿でも全然関係ないしね。

時代はどんどん変わっていくんだね。コロナが収束したとしても、こういう良い部分は残っていくといいね。

かくほ~っ!

昨夜、遁走したよつは。朝6時に目が覚め、外を見たがいない。
相方がボーイスカウト関連で7時半に出掛けるという。いってらっしゃい、と送り出したら呼び声が。
「よつは。戻ってきてる。見てみ」。そっか戻ってきたか。戻って来たって、どうやって玄関に入れる?
案の定、私が出て行ったら逃げた。また。

相棒が機転を利かせ追いかける。近所のブロックを周回しているようだ。
相棒が今度はバイクに乗って追いかける。近所を数周したところで、裏の家の駐車場に逃げ込んだとの連絡が来た。
娘と二人裏の家に急ぐ。

見ると、コの字状の駐車場の車の奥に逃げ込んだようだ。挟みうちで捕まえるしかない、と出口を娘がふさぎ、私がそろりそろりよつはに近づく。
運よくリードが私側に垂れている。なかばなだれ込むようにしてリードをつかみ、思わず「カクホー!!」と叫んでしまった。

よつは。犯人か何かか?!

戻りたいと思うくらいに、なったんだねぇ、と妙に感慨深い出来事だった。

遁走 prt.2

よつはと私のお散歩タイムはだいたい22時前後。
最近陽気も良くなったからか、夜の闇に紛れて川べりに戯れる人ちらほら見受けられ。

そんな中、暗闇に響く、高らかな笑い声。
うん、私もびっくりしたよ。人の姿が無いのに、笑い声。

それに驚いたよつは。思いっきり横っ飛び。
リードがはずみで手から抜けた・・。

冷静な私。相棒と違って、左側に来るよう指示出しをすれば従うはず。

トントン、と自分の左太ももを叩いたところ、一瞬、躊躇したものの、いちど勢いをつけて一目散に遁走しやがった!!!

なんじゃそりゃぁぁぁぁぁっ。

よつ!!と叫んでも振り向きもせず、川沿いを走っていきやがった。はぁぁぁ~とため息をつき、逃げ去った方に向かって歩く。
しばらく歩くと、懐中電灯に反射する人影。よく見ると警察官。何か軽微な事故・もしくは事件があった模様。これ幸いと声をかけた。
「犬が走り抜けませんでした?」「来てないよ」

結局、見つからず。肩を落として帰宅。

行きかう人々

本日在宅。
なのに資料を職場に忘れたので、ちょこっと朝だけ顔を出した。
その帰り、近所のコンビニでコーヒーでも買って帰ろうと寄ったら、
コーヒーサーバーの前で、ばったりと知り合いと会う。彼女はカフェオレを、私はアイスコーヒーを。
彼女はジャザ友(ジャザサイズ仲間)。そのコンビニの近所で働いているらしい。

仕事終了後、子供を眼科へ。待合室で娘の同級生のお母さんと遭遇。いやー奇遇だねぇ。
診察が終わり薬が処方されたので、薬局へ。
そこでは、娘の学校へこの4月に定期異動でやってきた先生に会う。こりゃ、どーも。

今日は良く知り合いに会う日だねぇ、なんて言いながら百均ショップへ立ち寄る。帰り際、テニスコーチにバッタリ。

おやおや、今日はすごいね~。
まじ、すごいね。ここで会うのも何か意味があるのかしら!?

否。単なる偶然だわな。

歩こう。

天気の良い日曜日。
相方はボーイ(カブ)スカウト関連活動で半日いないとな。

娘とは、歩いて比較的近く(2キロ先)の大型スーパーで買い物して、そこからはバスでその向こうの駅まで行ってお昼を食べようと約束していた。
出発間際になって「車で行こうよ~」を連発。「うっせー」。
当初計画どおり徒歩で向かった。

2キロなんて実はあっという間。20分かからずにお店に到着。
その後バスで駅(繁華街)へ。お昼はぎょうざの満州で水餃子&焼き餃子とご飯、できればビールもっ!って思ってたのに娘は「釜めしにする」という。
んじゃ、釜めし屋さんね・・と向かうが彼女は「うどん」をオーダー。えー!?釜めし屋でうどんですか、そーですか。
私は鮭といくらの釜めしに、やっぱりビール。うーん。うまい。

ぶらぶらと買い物をして、ケーキを買って、バスにて帰宅。うん。充実した日曜日だった。

あみだの呪い

何の因果か・・・
娘の学校の役員になってしまった。すべてはあみだくじのせい。
決まってしまったものは仕方がないから、腹をくくっているけれど、拘束時間が長い・・。
実際に集まって行う委員会以外にも、文書作ったりの仕事が盛りだくさん。
それぞれ事情があるにしても、分からないことが多いと不安も大きくなる。

とどのつまり面倒なんだけどね。でも何でこんなにやることがあるんだろうか?!

さて、そういう集まりや行事が多くて土曜日の楽しみのひとつ(仕事が無い時だけだけど・・)jazzerciseへ行けないことが多い。
毎日少しずつだけど運動はしたいので、行けないとストレス溜まる。
仕事や、学校の役割とかで心身ともにストレスを感じると、そもそも運動する気が起きなくなったりする。

頑張らないと・・

それにしても、あらゆる「くじ」に運は無いくせに、こういう時だけ「当たり」を引くってのもなんだろうねぇ。

蕪と豚肉の炒め煮を作った。
味付けは、みりん大さじ2くらい、しょうゆ大さじ1くらい、それから煎り酒適当+状況に応じて水も少々。

新鮮な葉付きカブなら葉も入れて。ごま油で肉を炒めて色が付いたらカブ(くし形切り)も入れて炒めて葉っぱも入れて調味料を入れて煮詰める感じ。
簡単で美味しい。美味しそうなかぶが手に入ったらまた作ろうっと。

生協の宅配で、何故かトマトがたくさん届いた。自分で頼んだトマト2種類ととセット野菜に入っていたトマト。トマト祭りだね。

私の愛すべき3匹が居なくなって、家内猫たちのパワーバランスに変化が訪れた。
サブやペグは、さりげなく皆をまとめてたのかなぁ。

発芽

机の四隅の爪とぎ跡を見た娘が「この机、もう捨てられないね」とつぶやく。

本当にそうだね。机の傷を撫でながら、ペグのことを思う。


数日前に書いたけれど、くじゃいら、さぶろく、そしてペグを失ったことは自分にとって大きい。
うまく表現できないのだけれど、なんかもうどーでもいーやー。

投げやりなのではなく、寂しいのと痛いのと、じわじわとこみあげてくるものと・・。

—–
コロナで、行き場もないのだけれど、10日間くらいどこかへ一人で行きたい。
希望では、どこかで、小さく丸くなってこもりたい。全部の感情を抱えて丸くなってしまいたい。
それを全部自分のものにできたら、光を浴びて発芽するんだ。

生きた証

いつもの場所で爪とぎ

ぺぐちゃん。テーブルの傷すら愛おしい。

雑感

さぶろくが死んでからまだ一か月も経っていない。
きっと体調のすぐれないペグを見かねて迎えに来てくれたんだよね。さぶ?

PolyEthylene Glycol

子猫の時のペグ

ペグは2007年7月3日に、かかりつけ医の先生のところからやってきた。元気いっぱいの愛らしい三毛猫で、お転婆だった。昔の日記を読むと懐かしい。
小さかったペグが、アザラシみたいに大きくなって、そして痩せた。

今朝未明、この世の衣を脱ぎ去って旅立ってしまった。

4月8日に先生のところで、お腹にたまった便を取り出してもらって、これで少しは食欲が出るかな?なんて期待をしていたのだけれど奇跡は起きなかった。寝ているばかりで、口に血がにじむのと脱水がひどかったのが心配だったから、土曜日に再び先生の所へ。低体温で、もう輸液してもあまり効果はないだろう、とのことで何もしないことになったけれど、口からの出血は前の牙が下がって引っかかって傷をつけてしまっているから、、とのことでその場で抜いてもらった。経口用のブドウ糖液ももらって帰った。
家に帰ってシリンジで何度かブドウ糖液をあげた。嫌がりながらも飲んでくれたので、夕方と、寝る前にも飲ませた。

昨夜もペグと一緒に寝るため、居間にマットを引いてペグの近くで寝た。テーブルの下にタオルケットを引いてペグを寝かせた。すぐ手の届く場所に。
でも、勇気が出なかった。もう旅立とうとしていることは頭でわかっていたけれど、認めたくなかったし、怖かった。自分が寝る前にたくさん撫でて名前を呼ぶとしっぽを振った。
真夜中目が覚めたのでペグを撫でたら、動けないはずのペグが向きを変え、頭を私の方に向けていた。切なくて、可愛くてまた沢山沢山撫でた。しっぽで答えてくれた。
もう、逃げ出したかった。
次に目が覚めたのは朝の4時55分。ペグ?と声をかけお腹を撫でた。

さようなら、ペグ。

ペグの正式名はPolyEthylene Glycol。ポリエチレングリコール。そこから頭文字を取ってペグに。愛称は、ペグちゃん、ぺぐやん、ぺぎーらなどなど。名付けた理由は、当時飼っていた盲目の老犬が雷に驚き脱走したうえ近所を徘徊し、5メートルほどの高台から下の畑に落下。脊髄を損傷したから、その治療のために「ポリエチレングリコール療法」を行うことの説明を獣医から受けた日に、子猫をもらい受けることになったのを記念して名付けたもの。
残念なことに、犬の脊髄損傷は良くならず、その後寝たきりになってしまったけれど。

お転婆娘のペグちゃんは、やっぱり可愛いペグちゃんで、私が辛い時にいつも慰めてくれた。お腹の調子が悪いから、トイレについてきては抱っこされて、お尻をふいてもらうのが大好きだったね。もう、だれもあんな風にねだる子が居なくなってしまったよ。

クジャイラが逝き、さぶろくが逝き、そしてペグさえも逝ってしまった。
自分の心の中の何かが、ガラリと音を立てた感じがしてならない。

日常のひとこま

ぺぐとよつ

ペグはだんだんと弱ってきた。便通もしばらく無いようだから、在宅勤務を利用して医者へ行くことにした。だから、今日は朝の7時半過ぎから仕事開始。途中、早めの休憩を兼ねてかかりつけ医へ向かった。
本当は、もう長くないだろうから少しでも体が楽になるように、輸液だけでもしてもらおうと思ってた。でも、先生が摘便しよう、と言ってくれたのでお願いした。元気が出ないだけなのか、ペグは静かに処置を受け入れてくれた(途中、軽く嚙まれたけど(笑))。輸液は土曜日にお願いすることに。これで少しでも元気になるといいな。
それから、先生にさぶろくが亡くなったことも伝えた。17年8か月だったことを伝えると、大したもんだよね、と褒めてくれた。ありがとう、先生とさぶろく。

ペグは家に戻ってじっとしている。ちょっとお尻をいじられたから、ぬるま湯で洗ってあげて今は、座布団の上で丸まっている。やっぱり弱弱しい。今の家には2009年に引っ越してきたんだけど、前の家からの猫はペグだけになっちゃったんだよね。ペグちゃんが死んじゃったら、本当にまた一つの時代が終わる。その時代を失いたくないような、そんな気持ちでいっぱい。

だから長生きしろ。もっと。


気になっていた近所の喫茶店にサクッとランチしに出掛けた。
勝手がわからないけど、なんだか常連さんが多くて、邪魔だったかな・・私。って感じ。
お料理には特段の目新しさは無くて「あー、喫茶店」って感じだけど雰囲気は良かった。
ランチタイムで常連さんで混雑してきたので、ササっと退場しました。

夜さんぽ

夜10時前後の散歩は、人通りが少なくて、ビビりのよつは。にも丁度良い。
それでも、人の気配や、遠くでトラックが立てる音などがすると、身を縮めたりする。

今夜は、何故か進行方向が同じ男性がいて、避けたつもりが、彼も同じ方向に向かって避けて、よつは。が横っ飛びで逃げたりして。
心の中で、なんでこっちに来るのよ~と思いつつも、よつは。の逃げ方が尋常じゃなくて、とてもバツが悪かったので「ごめんなさいね」と声をかけたら、相手もペコリと頭を下げた。

その男性を先に行かせて、しばらくしてから歩み始めたら、前を歩く男性が自宅のドアから入っていく姿が見えたが、なぜか振り向きこっちを見ている。
再びペコリと頭を下げ「失礼しまーす」と言うと「さようなら」とか何とか向こうも小声で答えた・・・。

初めて会う人だけど、なんだか不思議な感じだったなー。