チープな表現ですが・・

都心めぐりを止めて、前から気になっていた「石老山・・セキロウザン」をサクッとハイキングする事にした。今日も雲は殆どなく、スッキリと澄み渡った秋の空だった。石老山登山道入口(12:30)に車を止めていざ出発。里山ののどかな雰囲気を楽しみながら山道を登る。ルートはだいたいこんな感じ。相模湖病院→顕鏡寺→融合平→石老山→大明神展望台→ねん(鼠?)坂→登山道入口に戻る(16:45)急ぐ旅でも無いので、色々考えながらのんびり歩いた。


相模湖病院から顕鏡寺までの道のりは15分~30分ほど。この山自体がかなりの水をたたえているのか、登山道にまで清流が流れ落ちてきていた。周りを奇岩に囲まれ、苔むした道を歩く感じで、山に一歩入っただけなのに気持ちがだいぶ落ち着いてきた。サスケやラクが亡くなった去年は富士山に登った。今回は標高こそ693mと低いけれど、この一山を越えてふでぼんの冥福を祈ろう、と思った。山の木々の間を歩きながら、辛い気持ちや悲しい気持ちがだんだんと自分で理解できるようになってくる・・。上り坂の苦しさを感じながら亡くなった者たちの辛さを思ってみたりする。全くいい表現じゃ無いかもしれないけれど、自分にとって山には”癒し”があるような感じがする。山はやっぱり神聖なものかもしれない。あ、もちろんマイナスイオン効果もあるかもね。

話し変って、帰りに入ったお土産やさんで、初老のおばさんが万引きするのを見てしまった。お店のヒトは気が付いていないようだった。私はレジの最中で、後でオバちゃんに「ミタゾ~」って言おうかどうか考えていたんだけれど、自分が外に出たときにはもうそのオバちゃんの姿は分からなかった。おばちゃん、他のものはちゃんと買っていたのに・・。なんで栗饅頭だけ盗んだの?窃盗は常習になっちゃうから、ダメだよ、、と少し悲しくなってしまった。

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